【まとめ】愛すべき巨人の中継ぎ -2000年~2004年編-

【まとめ】愛すべき巨人の中継ぎ -2000年~2004年編- プロ野球

どーも。お疲れ様です。

今回は巨人の中継ぎについてです。

以前の記事で、中継ぎ王国を築きあげるまでの2005年~2009年までの中継ぎ投手についてまとめましたが、今回は2000年~2004年についてです。

2000年代前半の巨人は長嶋・原政権の元、安定してAクラスの成績を収めており、
野手陣では松井秀喜、高橋由伸、阿部慎之助、投手陣では上原浩志や高橋尚成など、ドラ1で入った生え抜き選手がチームの顔として活躍していました。

そんな中、唯一のウィークポイントとして毎年云われていたのが中継ぎ陣です。
中継ぎ陣の崩壊が始まっていった2000年~2004年の巨人の中継ぎ陣を見ていきましょう。

2001年~2004年のリーグ成績

中継ぎ陣を振り返る前に、2000年~2004年のチーム成績を見てみましょう。

  • 2000年 1位 78勝57負0分 長嶋茂雄
  • 2001年 2位 75勝63負2分 長嶋茂雄
  • 2002年 1位 86勝52負2分 原 辰徳
  • 2003年 3位 71勝66負3分 原 辰徳
  • 2004年 3位 71勝64負3分 堀内恒夫

2度のリーグ優勝を飾っており、5年にわたりAクラスをキープしていました。
しかし、2003年・2004年は中継ぎ陣の不安定さが影響してか3位に甘んじており、翌年以降に球団史上初の2年連続Bクラスを記録しております。
その原因には間違いなく中継ぎ陣の崩壊が影響していたのです。

2000年 1位 78勝57負0分 長嶋茂雄 ~渋い中継ぎ陣~

2000年の主な中継ぎは以下の通りです。

登板勝利敗戦S投球回数四球奪三振防御率年齢
岡島 秀樹5654772.1311023.1125
三澤 興一4111165.214382.3326
柏田 貴史502005315362.8929
木村 龍史5441047.216382.8330
南 真一郎26202265172.0827
槇原 寛己2101919.26204.1237

「前略・三澤興一です」でお馴染みの三澤興一、メジャー帰りの柏田貴史、シュートを武器に活躍した木村龍治など、中堅世代の渋い中継ぎ陣が活躍した年でした。
抑えの槇原寛己は不調でしたが、シーズン途中から岡島秀樹が抑えに務め、盤石の投手陣でシーズン優勝を果たした年でした。

2001年 2位 75勝63負2分 長嶋茂雄 ~若手の踏ん張り~

2001年の主な中継ぎは以下の通りです。

登板勝利敗戦S投球回数四球奪三振防御率年齢
條辺 剛467866542484.0220
岡島 秀樹5821256239702.7626
三浦 貴493205838383.4123
野村 空生402103712344.6232
柏田 貴史3900027.25193.5830
田畑 一也29110325173.6632

2001年は、前年活躍した三澤・柏田・木村が相次ぎ不調。
当時20歳の條辺剛や、後に野手に転向する三浦貴が多くの試合に登板し、厳しい台所事象に希望を覗かせ、前年途中より抑えに定着した岡島秀樹も、制球難がありながらも25Sを記録しチームに貢献しました。
しかしながら、全体的な中継ぎ陣の駒不足が影響し、リーグ優勝を逃しました。

余談ですが、引退後はうどん屋を営んでいることで有名な條辺選手ですが、埼玉県にある、お店はとても美味しいので、近くに入ったら是非寄ってみてください。

↓は、お店に行ったときの写真です。

長嶋さん直筆の色紙がたまりません。

2002年 1位 86勝52負2分 原 辰徳 ~新監督による立て直し~

2002年の主な中継ぎは以下の通りです。

登板勝利敗戦S投球回数四球奪三振防御率年齢
岡島 秀樹5263055.222583.4027
河原 純一495328506612.7029
前田 幸長53441466432.7432
條辺 剛472303720403.1621
アルモンテ27001247181.5027
河本 育之253102314214.7035

2002年の投手陣を語る上で外せないのは河原純一でしょう。
先発ローテーションを期待されながらも中々芽が出なかった94年のドラ1に、原新監督は抑えの役割を与えました。
河原も期待に応え、細身の体系から糸引くようなストレートで投げ込み、28Sを記録し、日本シリーズでは胴上げ投手にもなりました。

また新戦力の前田幸長や、岡島、條辺も前年から引き続き好投を続け、見事優勝奪還したシーズンでした。

葉っぱでお馴染みのアルモンテも敗戦処理ながら27試合に登板していました。

2003年 3位 71勝66負3分 原 辰徳 ~崩壊~

2003年の主な中継ぎは以下の通りです。

登板勝利敗戦S投球回数四球奪三振防御率年齢
前田 幸長50523607493.1533
真田 裕貴3038256.222395.4019
岡島 秀樹4123038.220294.8928
ベイリー3010035.217324.7932
サンタナ2521527.16214.9429
河本 育之25150275297.0036
河原 純一23037227299.4130

2003年の投手陣は文字通り崩壊していました。

前年、中継ぎ・抑えを支えていた條辺・岡島・河原が相次いで不調。
安定を図るため獲得した新外国人ベイリーサンタナも結果を残せず、共に4点台の防御率。

防御率3点台が前田幸長のみと、最後まで中継ぎ陣の整備ができず、シーズン3位に終わりました。

2004年 3位 71勝64負3分 堀内恒夫 ~補強ポイントのズレ~

2004年の主な中継ぎは以下の通りです。

登板勝利敗戦S投球回数四球奪三振防御率年齢
シコースキー6253577.222832.6730
佐藤 宏志2631160.220485.9327
岡島 秀樹5343546.220533.0929
前田 幸長4421041.22482.3834
ランデル2432139.218425.4527
中村 隼人3820135.214233.7929

2004年は堀内新監督の元、小久保裕紀タフィ・ローズといった長距離砲を獲得しました。
前年からの課題であった投手陣では、シコースキーを獲得した以外、目立った補強はありませんでした。

シコースキー、岡島、前田と、まずまずの活躍をみせましたが、不調な先発陣を補うほどの貢献はできず、年間259本のチーム本塁打を樹立しながらも、チーム防御率4.50と投手陣が足を引っ張り、リーグ3位でシーズンを終えました。

まとめ

いかがだったでしょうか。

いかに2000年代前半の巨人が中継ぎ陣に困っていたかが、お分かり頂けたんじゃないでしょうか。

ここから2000年代後半の豪華中継ぎ陣を築くまでは、毎年7,8,9回をドキドキしながら見てました。

それでは!

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